2017年04月02日

「心耳」(しんじ)心の耳で聴く。若松英輔氏の言葉。

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カルチャーラジオ日曜カルチャー http://www4.nhk.or.jp/P1940/28/
「かなしみの哲学 死者と共に生きるということ」1
2017年3月5日 NHKラジオ第2
【大震災という経験神谷美恵子と「生きがいについて」】
若松英輔(批評家・随想家) http://yomutokaku.jp/
(収録:2/25NHK文化センター青山教室)

ストリーミングラジオを聞きました。
表層ではなく、深層からの若松さんの言葉、
美しく心の静かなところに
響いてきて、奥の方から震えます。
深い言葉が多くて、何度も繰り返し聞いています。
再生スピードを遅くしたい。

神谷美恵子さんの本も若松英輔さんの本も大切にしています。

「心耳」(しんじ)心の耳で聴く。

「存在の深み」

以下の共鳴の話が特に印象に残ります。

ひとたび生きがいを失うほどの悲しみを経た人の心には、消え難い刻印が刻み付けられている。
それは普段は意識にのぼらないかもしれないが、他人の悲しみや苦しみにもすぐ共鳴し鳴りだす弦のような作用を持つのではないだろうか。しかし、もし、そこに暖かさがあれば、そこから他人への思いやりが生まれるのではないだろうか。 (「生きがいについて」神谷美恵子)


悲しみを経験するということは、世の中に悲しみが無数にあるということを発見すること。
共鳴するということは、響きあうということ。
響きあうってどういうことかって言うと、違うものであると言うこと。
同じ悲しみは存在しない。絶対に。
音が違うから響きあう。
人の悲しみがわかるということは、
自分の悲しみは自分だけのものということが深く理解される。ということと同じ。

別の言い方をすれば、我々は、他人を悲しみを容易にわかることはできない。
さらに言えば、だからこそ、自分の悲しみが他の人にわかってもらえないからと言って、
あまり、大きな不平を言ってはならないということにもなります。
なぜなら、我々は、他の人のことはわからないから。
我々が他の人の悲しみがわからない以上、他の人が私の悲しみがわからなくたって仕方ない。
でも、悲しみと悲しみ、苦しみと苦しみは共鳴し共振する。

悲しみによって人は人に開かれてゆく
悲しみのとても大きな意味。
悲しいを経験すると、自分が狭いところに閉じ込められた気分になりますが、
本当は違いますね。
(ラジオより若松さんの言葉。37分くらいから)





posted by mumu at 22:59| 鹿児島 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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